こんにちは、32才ニートのあふたまーとと申します。
書いてて思いましたが、「ニート」って肩書は「東大卒」くらいの威力がありますね……
私は大学院修士課程終了後、ソフトウェアエンジニアとして3社で働き、昨年の9月に退職したのち、今日に至るまで無職です。
最後に勤めた外資系IT企業においては、会社の作るサービスに対して貢献できた実感がほとんどなく、退職勧奨を受ける形となりました。自分はサラリーマンに向いていないのではないかと感じており、しばらくは就職せずにやりたいことをやって、今後の人生の方針をゆっくり決めようと思っています。
一年近く無職として過ごした中で、ひとつ目標を立てました。
京都大学文学部に入学する
私の人生を振り返ったとき、人文知の欠如によって世界への理解が不十分になっていると感じる機会が何度かありました。たとえば、以下のようなことを考えてみましょう。
だが待ってほしい。ウクライナが正義でロシアが悪だとなぜ言えるのだろうか?民主政より独裁制や寡頭制が優れていた例など、ペロポネソス戦争時のアテナイとスパルタに、明治初期の藩閥政治と、枚挙にいとまがない。また、ウクライナにおいても、ゼレンスキー大統領は、原則全男性の国外退去禁止という、人権侵害に近い強権を発動している。
百年後の歴史書において、我々は正義を成したと書かれるのだろうか?それとも、近視眼的理念による、大きな潮流への抵抗に過ぎなかったと評されるのだろうか?
さあ、あなたは何か答えが出せるでしょうか?私には何も出せません。
こういう問題への取っ掛かりを掴むために、大学で本気で人文学と向き合いたいと考えるようになりました。昔から勉強が好きだったことも影響しています。受験勉強の進捗度合いからみて来年2024年4月の入学は絶望的であるため、2025年4月の入学を目指しています。
京都大学文学部を志望する理由はいくつかあります。
- 日本のトップレベル国立大学であること
海外の大学や私立大学は、金銭的問題や私の病状を考慮して考えません。 - 総合大学であること
理系分野に興味が広がった場合でも、授業を聴講できることが望ましいです。この観点から一橋大学は除外されます。 - 過ごしやすい立地であること
東京はゴミゴミしすぎてる上に家賃高すぎでもういいやという気持ちなので、東京大学は除外されます。
これらの条件を満たす、京都大学・神戸大学・九州大学・北海道大学などが進学候補となります。このうち、〇〇大学〇〇学部卒業という肩書が最もインパクトを持ちそう、つまり錯覚資産としての価値が高そうなのが京都大学文学部であるため、こちらを志望大学・志望学部としています。やはり日本における一般的な認識では、東大・京大は別格の存在です。
ただ私自身、人文学、というかいわゆる「文系」のことが何もわかっておらず、
「そもそも人文学って何なの?」
「『正義とは何か』『美とは何か』なんて、問題を解くどころか、定義することすら不可能じゃない?そんなこと考える意味あんの?」
という疑問が湧いてきています。また、学生生活に関しても、
「私みたいなオッサンを、昨日まで高校生だった学生が相手にしてくれるのか?」
「4年間安定して単位取得できるほど、人文学への興味が持続するだろうか?」
など不安があります。
最も不安なのは、私は勉強は好きだが研究は嫌いだ、という点です。
線形代数や解析学といった分野は、知のアッピア街道です。学習に適した多くの日本語文献が存在し、知り合いに教えを請うこともできます。遅くとも着実に歩を進め、自分の視野がぐんぐんと広がっていくのは爽快極まりありません。
それに対し学術研究は、その先に何かが存在するのかすら分からない、視界いっぱいに広がるヘドロの海です。研究室に所属していたころの私には、その海を泳ぐだけの能力も意欲もありませんでした。
京都大学は、学長メッセージなどで「未知の世界を探求してほしい」と強調しています。「地図のない場所など歩きたくない、地図だけ買って読みたい」という私のような学生は歓迎されるのでしょうか?
こういった疑問を解消したいのですが、残念ながらオープンキャンパスは受験フリークしか参加できない仕組みになってしまっています。そこで、9月24日に開催される「京都大学アカデミックデイ2023」に参加し、文学部の教授に疑問をぶつけてみます。
というわけで、14年ぶりにもう一度受験生となって、受験勉強を楽しもうと思います。今は晴れやかな気分で、再び大学生となった自分の姿を想像しています。具体的な受験勉強戦略については別途記事にする予定ですので、お楽しみに。
では、よい週末を。
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この記事は、2023年9月2日に別アカウントに投稿した記事の再掲です。